その1 愛は、人と人を〜: エーリッヒ・フロム
愛は、人と人を結びつける力なのです。
- エーリッヒ・フロム
感想
愛と一言でいってもいろいろあると思うが、筆者は恋愛については知らないので、ここは『広義の人類愛』について考えてみたいと思う。
エーリッヒ・フロムは著書『愛するということ』の中で愛につい、恋愛や神への愛や、隣人愛、又は友情と述べているが、そこには人への尊敬、配慮、知識、責任が不可欠だと言っている。
エーリッヒ・フロムは広義の愛を、一種のスキルのようなものとしてとらえている。
例えば人に対するあいさつを忘れてしまえば、私たちはいくらその人と友情があるといっても、それを信じることができなくなる。
筆者は勿論、愛という難しいテーマを論ずることはほぼ不可能だと思っている。
ただ、フロムにとって愛するということは、ある種のスキルとしてとらえていたと、いえるかもしれない。
筆者は、フロムが唱えてている愛は、どちらかと言えば愛されることに近い様に感じている。
こちらから求めてる愛、惹かれる愛など、愛は本当にわからないし、それこそ論ずべきことではないかもしれない。
しかし、世界的ベストセラー『愛するということ』において、愛はある種のスキル的なものとしてとらえているようである。読者はどのようにおもわれるであろうか?
その2 努力は必ず報われる〜: 王貞治
努力は必ず報われる。
もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。
- 王貞治
感想
ご存知、世界一のホームランバッター王貞治選手の格言である。
あの幼少から女優として活躍されている芦田茉奈ちゃんが、座右の銘にしているという話もある。
読者の皆様はこの言葉をどのように思われるであろうか?
筆者は報われない努力もあるような気がしてならない。
世界一のホームランバッターに対して私ごときが言うことではないかもしれないが、同じ野球の話であれば98年の夏の甲子園の決勝で
ノーヒットノーランを成し遂げた松坂大輔がいたが、実は100年以上続く夏の甲子園の中で
決勝でノーヒットノーランを成し遂げた投手は松坂大輔と
戦前の海星中の嶋清一投手しかいない。
嶋清一は1939年全国夏の甲子園で、準決勝、決勝でノーヒットノーランを成し遂げるのである。
しかき、その後太平洋戦争の学徒出陣で戦死してしまう。
今までの嶋の才能や努力はなんだったのだろうか?
これは極端な例かもしれないが、人生には運が大きく左右される部分があるのではないだろうか?
嶋清一の例は極端かもしれないが、個人的に人生においては一番に運、次に思いやり、次にセンスや経験、そして知識の順に、大切なものが並んでいると思っている。
改め問う、読者の皆さんはどのように思われるだろうか?
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